おさなごころの君に、

茜色の狂気を ものがたりに綴じて

わたしたちは子どものかたちをしていたけれど、いつのまにか精神ばかりが膨れあがった頭でっかちな子どもの群れに育っていた。

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中等科・高等科はそれぞれ三年の一貫教育で、男女別の寮生活に変わる。初等科のあいだ、子どもたちは男女の区別なく育てられるが、恭一のように飛び抜けて進級していく子どもたちは、特別進学科に割り振られ、初等科へ通う子どもたちと引き続き生活だけは共にした。それは大人たちなりの配慮で、極めて人数の少ない特進科の生徒たちを子ども社会から逸脱させないためだった。

共同生活がもたらす優位性を、わたしたちの社会は近年最重要項目として教育方針の念頭に置いていた。知識や能力の格差は個々人の生まれ持った才能や、性格によってどうしても振れ幅が生じてしまう。一世紀ほど前には、子どもたちの能力差が浮き彫りなることに異様なまでの拒絶主義が蔓延し、ありとあらゆる順位、数値、点数制度がオブラートに包むことを至上命題とするような思想がまことしやかに社会を支配していたらしい。当時、子どもであった大人たちはゆとり世代と呼称され、彼らが作りあげたのがわたしたちの社会だった。

その後の悟り世代と呼ばれる大人たちが、現在の特進科をつくった。停滞した自立心の成長を、改めていかに育ててゆくか。そこで、子どもたちを盲目的に年齢で区分けることを廃止した。

世界は人間の生き方に呼応して変貌を遂げる。子どもたちは、それぞれの知識と教養に比例して育ち、各々が望んだからだの成長を手に入れるようになった。幼少期、まだ物心もつかないわたしたちは、ともに学び、食卓を囲む友人たちと足並み揃えて成長を重ねた。成長、すなわちそれは身体の変化であった。そして、学びとともにこころや気持ちといった代物には、徐々に変化の兆しがあらわれはじめた。

子どもたちの思考形態は、ゆとり・悟り世代の大人たちの想像をはるかに超え、大人びたという表現ではおよそ図ることのできない境地に達する生徒まで現れはじめた。

恭一の中等科への進級が確定したとき、わたしは十歳だった。瑠璃子は、進級を遅らせる手立てを企てなかったことについて、恭一をひどく責めたてた。子どもたちのなかには、自身の能力に気づいて、わざと留年を選ぶ者も少なくなかったのである。まだ確立しきっていない体制への不安が、水面下でそのような対処法を生み出す結果となっていた。なにより、カップリングの相手として目星をつけあった子どもたちほど、互いの進級について足並みそろえる風潮ができあがっていた。

「茜ちゃんを置いていく気なの、馬鹿なんじゃないの、それがどういうことかわかってんの、恭一は茜ちゃんを選んでたんじゃないの、ねえ、わたしが言ってることわかってる、ちゃんと聞いてる、放り投げる気なの、馬鹿なの、ねえ恭一、ふざけないでよ」

瑠璃子の怒り狂った様は、それまであくまで過程として、噂の範疇を出なかったわたしと恭一の関係性を、あたかも定められた運命のひとつに押し上げてしまうだけの強烈さがあった。

「だけど、方法はひとつじゃないと思うんだよ」

「先のことなんて、わたしたちにはわかんないよ、おつむのいい恭一にはわかるのかもね、だったら納得のいく説明をしてみせてよ、そんなあまちゃんななだめ方で、このわたしが引き下がるとでも本気で思ってんの、このまま茜ちゃんを置き去りになんかしたら、もう絶対に、一生許さない」

「瑠璃ちゃん、ぼくはまだここを出ていかない、中等科に進級するだけだよ、なにをそんなに心配しているんだ」

恭一はきっと、世界を変えるつもりでいたのだ。

わたしたちは子どものかたちをしていたけれど、いつのまにか精神ばかりが膨れあがった頭でっかちな子どもの群れに育っていた。ある意味、恭一は悟り世代の名残りのような子どもであった。数年後には、わたしたちにも適当な世代名がつくのかもしれない。

わたしは、恭一を好いていた。けれど、わたしは遅れ子だったから、人一倍遅れた子どもだったから、わからなかった。

瑠璃子は、わたしと一緒に進級した。あの子なら、もっと短い期間で進級できたはずなのに。わたしは平均以下だった。あの子は、わたしに合わせたのだ。恭一に迫ったやり方で、わざと。

わたしは、恭一の選択は正しかったと信じている。安易な行動は人生を棒にふる。流れに乗ることは、運命に逆らわないことと等しい。無論、瑠璃子には頭が上がらない。あの子のやさしさは常軌を逸している。わたしは彼女の執拗な愛情表現を体よくあしらいながら、手放すことなどできない。いつ、捨てられてしまってもおかしくないのに、あの子はわたしを手放さない。だからわたしは、せめて奢らない努力をする。わたしという人間のすべてを、あの子のために捧げられるように。

妙な夢を見たのだった、わたしたち姉妹は同時進級したというのに、夢のなかでは学年違いだと思い込んでいた。夢で見たような日々を、わたしは一日だって知らない。たった一年早く生まれただけで、姉と妹という、もはやあってないような関係性を求めたのかもしれない。飛んだお笑い草だ。わたしたちは神さまにお祈りを捧げる。あしたもよい日でありますように、と。

 

 

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ゆとりですがなにか (単行本) 

ひとくち吸ってしまった

でも

やっぱりむせた

不揃いな苺にたくさんの砂糖をまぶして ぐちゃぐちゃになるまで煮込むと美味しいジャムが出来る

https://www.instagram.com/p/BL3Je4DAJdK/

 

あんたの後悔が、わたしはうれしい

厚かましさこそ、愛情を測るものさしだ

わたしはただ、欲望を受けとめる

容器になりはて

ぐちゃぐちゃになりたいとぼんやり願う

そうだな、たとえば不揃いで

消費期限も近づいた見切りの苺パック

これでもかってくらい上白糖をまぶされて

ぐつぐつと ぐつぐつと煮込まれたい

そうしたらわたし、

とっても美味しくなるに違いない

わたしは微塵もあんたのものなんかじゃない

感情はなくしてしまった

さようなら

わたしはうれしい

あんたの後悔が、後ろめたさなんてそっちのけで

わたしのなかへとなだれ込んでくるから

その浅はかさが、おかしくて

思わず嗤ってしまう

気持ちいいかって

あゝ そう言ってほしいの

でもちょっと、それは面倒くさいな

ねえ、だったらもっと、もっと美味しくしてよ

もっとずっとぐちゃぐちゃにしてくれたら

 

あゝ もうまったく

うんざりだね

 

 

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フレンチキャンディー Violette(すみれ)

すみれの花の砂糖漬けは、

コーヒーや紅茶に ぽちゃんと落として、いい香りいい香り。

それならぼくは、番い目にでもなろうか。ぼくが箍にさえなってしまえば、きみのその不安はすべてこのぼくが受けとめてしまえる。

https://www.instagram.com/p/BONKpTxA2rT/

 

恭一はとても安易な理由で、茜ちゃんをひとり残して逝った。

ある時期、茜ちゃんはとても不安定だった。幼馴染ではあったけれど、恋人ではなかったとおもう。ただ、子どもの頃からずっと兄妹同然に育ってきたから、そんじょそこらのぽっと出カップルなんかとは比べ物にならない信頼関係が築かれていた。関係性についてはわたしも同様であったはずだけれど、わたしは恭一よりも年の近い茜ちゃんをお手本に選んだ。それは茜ちゃんが、拠りどころとしてのお手本に恭一を据えていたからだ。

仲良しが過ぎるという括りだけでは語りつくせない。身内という関係性すら軽く飛び越えた。ふたりはまるで、互いの呼気を吸いあっているような、それ以外に今日をつなぐ方法なんて知らないみたいな、安寧なのか依存なのか、そのどちらでもあって、そのどちらもまるで的外れだった。

「どうせ恭ちゃんだって、」

くどいほどくり返される茜ちゃんの口癖は、校庭の砂が立ち舞うように吹いては散り、目の届かない隅の隅、奥の奥まで知らぬうち入り込んで、迷惑はずっと後で露わになるのだった。

わたしの記憶にある恭一と茜ちゃんは、いつもおなじ押し問答をくり返していた。それも、茜ちゃんに限ってはひどく幼稚な物言いで、いっさいのわがままは彼の前でのみ演じられた。

「それならぼくは、番い目《つがいめ》にでもなろうか。ぼくが箍《たが》にさえなってしまえば、きみのその不安はすべてこのぼくが受けとめてしまえる」

わたしたちは、まだほんの幼いこどもであったはずだった。

恭一は中等部へ進級したばかりで、成長を見越して仕立てられた学ランの詰襟がコルセットよろしく彼の喉元を締めあげていた。それは少しでも猫背になれば、無理やり首輪に繋がれた飼い犬の引きずられていく散歩風景のようでもあり、よってつねに背筋は凛々しくあった。

それから、赤いランドセルだ。あれはまるで、子どもたちの成長を引き留める枷のような代物だった。わたしたち姉妹は、最短四年から平均十三年の初等部に揃って二桁ギリギリの年月在学した。だから、年齢の上ではひとつしか違わなかった茜ちゃんと恭一の距離は、ここで一気に引き離された。年齢なんて関係ない、からだの成長は知識と教養に比例して育つのだから、こころとか気持ちとかいった代物は、往々にして子ども時代に置いてきぼりにされる。

たった五年で進級していった恭一は特異な子どものひとりに数えられていた。大人と呼ばれる人間たちから一目置かれていただけでなく、多大なる期待と数え切れぬほどの可能性を約束された子どもだった。しかしながら、不特定多数の人類に貢献することすら可能であった将来有望な少年は、どこにでもいる凡庸なひとりの子どもにみずから飲み込まれた。故に、わたしたち姉妹は疎まれる存在となったのだった。

幼い子ども目から見ても、わたしの物心つく頃にはもう、茜ちゃんは恭一の虜だった。それはもう狂信的なまでに。すべてを委ね、依存しきっていた。このわたしが妹という最強の特権をどれだけ振りかざしても、茜ちゃんの恭一に対する思い入れは何もかもを凌駕した。

とはいえ、わたしも茜ちゃんと恭一のやり取りを逐一覗きみてきたわけじゃない。だからこれは、一個人の勝手な妄想にすぎないし、すべては抽象的に過ぎる。わたしは、恭一という人間をまるで知らないのだから。

 

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恋の話がしたい (マーブルコミックス)

額にはりついた、遅れ毛の一本一本まで鮮明だ。

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教室。始業前の、まだだれもいない教室。わたしは瑠璃子をさがしている。夢だとわかる。学年の違う彼女が、ここにいるはずがないのを知っているからだ。自分はいま、自分の夢を俯瞰している思考だ。

ぐるりと見渡し、まだ低いが強く差し込む陽を遮るために、わたしは日焼けした長いカーテンをすべて引く。遮光性のない薄い布地越しに、室内はその色に淡く染められる。少し、埃っぽい匂いが立って、席につく、毎朝。

夢のなかのわたしは、読みかけの文庫本を手に取ろうとして、それが見当たらないことに小首をかしげた。

さっきまで読んでいたはずなのに、仕方ないな。

普段なら放っておくことなどしないのに、わたしはあっさりあきらめた。あと少しだからぜんぶ読んでしまって、図書室へ返しにいくつもりでいた気がするが、何を読んでいたのかも思いだせない。ツーピースの制服の裾を正して座りなおす。思いがけず手持無沙汰になってしまった。夢だというのに、ずいぶん抒情的だとおもう。

瑠璃子のお腹の子は、父親がだれかわからない。瑠璃子にはわかっているのだろうと高を括っていたが、どうやらほんとうにわからないらしい。選択肢としての候補なら、複数人挙げられる。けれど、わたしたちにはさして重要なことではなかった。わたしも瑠璃子も、彼らを必要としていない。

お腹の大きくなった瑠璃子は見慣れた空色の制服姿で、片手はセーラーの襟を、もう片手はスカートのプリーツをはたはたと仰いでいた。

あーもう一歩も動きたくなーい、暑っーい。

仁王立ちで目の前に立ちふさがる妹は、姿格好は高校生然としていながら、お腹は張りのある膨らみをいよいよ主張していた。

馬鹿ね、時間通りに学校へなんかこなくていいのに。

茜ちゃんはくそ真面目な性格のくせに、他人にはまるで責任感皆無だよねェ。妹にまでその物言いとかさーあ、ひどいナア。

首筋が汗に濡れている。額にはりついた、遅れ毛の一本一本まで鮮明だ。この子が、わたしの経験していないなにかと対峙するのは、はじめてではなかろうか。こんなあっけらかんとしているけれど、きっと子どもは勝手に産まれてくる。お腹のなかで勝手に育って、ある日突然出てくるのだ。

お勉強するんだあ、お馬鹿じゃあ可哀そうでしょう。

嬉々として、瑠璃子は数学の問題集を解きはじめる。わたしなんか、もうすっかり解き方を忘れてしまった。すらすらと数式を書き記していくので、自分の方が頭がいいとおもっていた自尊心が容易くぐらつく。

必要ないじゃん。

ほら、そういうとこ。

手にしたシャーペンをくるりと回し、指差す代わりにまるで可愛らしくないキャラクターの頭をこちらへ向けた。

ただの馬鹿は損するじゃん、あたしは、損する馬鹿にはなりたくないの。得する馬鹿じゃなきゃ嫌。

それと数学の問題集がどう接続するのかわからなかったが、いかんせんここは夢のなかなのだった。

 

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よくあたる! 夢占い事典1000