おさなごころの君に、

茜色の狂気に、ものがたりを綴じて

コップの底を薄く濡らす程度の存在価値しか見出せない

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茜ちゃんはいちいち律儀だ。

むかし好きだった男のことまで、いつまでも気にかけている。初恋とはそうも貴重なものだったかしらと考える。たとえば、ロングスカートの裾が歩くたび足にまとわりついてくる感じに似ている。使い古されてチープな匂いのする、未練がましい、を表現するなら。

「ふふフフッ」

「瑠璃子、しずかに」

そう、茜ちゃんは絵に描いたようないい子ちゃんだった。無論、そんな姉を見て育ったわたしも世間的にはそちら側、ただしわかる人間にはわかったはずだ。あすこの姉妹は、お姉ちゃんの方は超のつく生真面目屋で几帳面、妹の方は世渡り上手の八方美人。

茜ちゃんが、わたしの人生においてなくてはならないお手本であることに異論はない。正直なところ、わたしは茜ちゃんさえいてくれればいい。けれどどうにも、茜ちゃんの方はそうではない。わたしだけでは到底足りない。コップの底を薄く濡らす程度の存在価値しか見出せない。そんな不満を口にしたら、心外極まりないと言わんばかりのふくれっ面を見せるに違いない。そして、いとも簡単にわたしの肩を抱き寄せるのだ。幼い子にするように、いいこいいこ頭をなでるか、心音にあわせ背中を叩いていていることだろう。

まったく不快だ。だからわたしは、茜ちゃんの歴代の恋人たちが全員嫌いだった。そもそも、横から軽くちょっかいを出しただけでぶれてしまうような想いの深さで、茜ちゃんを手に入れようだなんて冗談じゃない。そんな男たちは、片っ端から蹴散らしてやった。

「すごい動いてる、ふふフフッ」

くすぐったい。誰の目からも隠れて、突き出たお腹のなかでぐるりと蠢く。暗闇と静けさに満ち満ちた礼拝堂で、まだ人の世に生まれ出でていない命はなにか特別なざわつきでも感じとっているのだろうか。それともただ単純に、揺れもなくひとところに落ちついたらしいので、動きやすくなった手足をここぞと伸ばしているだけかもしれない。

突き出たお腹が手のひらの感触だけでなく、ほのかな灯りに照らし出される。キャンドルの炎が揺らめいていた。小さな炎を貰い受け、わたしの意思とは関係なく好き勝手にしているお腹の上にキャンドルを置く。自我なんてものはないのだろうが、手を伸ばし欲しがられているような気がした。

茜ちゃんのことが好きだと言っていたくせに、わたしと寝た男の子どもだから、生まれてきたら茜ちゃんに名前をつけてもらうつもりでいる。そいつとはもうなんの関係もないのだから、義理立てもなにも気にする必要はないのだけれど、茜ちゃんのことだからせめて名前に一文字もらおうとか言いだすかもしれない。それだけは断固拒否したい。大体、わたしはあの男のフルネームも知らなかった。あんな軽薄な異性に、茜ちゃんを奪われずに済んでほんとうによかった。

茜ちゃんの子をわたしのお腹に宿してくれた奇跡には、しぬほど感謝している。妊娠検査薬片手に小躍りしてしまいそうなほどの高揚感を覚えたあの日の感動を、わたしは生涯忘れないだろう。幸福の極みだ。女はそれを十ヶ月ものあいだ味わいつづけるのだから、生命と直結している。この幸福を、わたしはどうやったら茜ちゃんに分けてあげることができるだろうか。二人の子として育てるだけでは、わたしの方にばかり幸福が有り余って申し訳ない。

 馬槽(まぶね)のなかに 産声をあげ

 たくみの家に ひととなりて

 貧しき憂い 生くる悩み

 つぶさになめし この人を見よ

             ――讃美歌一二一

たどたどしい子どもたちの歌声が神の子の誕生を謳う。

微笑ましいとは欠片もおもわない。茜ちゃんは目尻を綻ばせているだろうか。お腹の子は茜ちゃんに似て思慮深く、恭しい、よい子に育つだろう。わたしは、茜ちゃんとお腹のこの子がいれば幸せだ。それ以上もそれ以下も、望むらくは何もない。

 

 

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