おさなごころの君に、

茜色の狂気に、ものがたりを綴じて

「琴子ちゃんの風景-02」楢﨑古都

 

 パパはちょっと有名な東京の大学を出て、ついでに大学院へも行った。でもそれを一年ちょっとであっさりやめてしまって、図書館司書になった。
 退学した理由は、ママだ。
 正確には、わたし、なのかもしれない。ママのお腹のなかに、わたしという人間がいることがわかったからこそ、パパは大学院を辞めて(もしかしたら、とっても偉い人になれたかもしれないのに!)、まわりの反対を押し切り、ママと結婚した。
 まわりの、というのはパパのお父さんとお母さん(つまり、鎌倉のおじいちゃまとおばあちゃま)や、親戚の人たちのことで、あの人たちはママのことがあまり好きじゃないみたいだった。
 でも、私のことはベタベタに可愛がった。幼稚園へ通っていた頃に会いにいったきり、すっかりご無沙汰になっている。実際、あの過保護っぷりには散々な目にあわされたし、子どものわたしにもわかるママへの意地悪には、内心うんざりさせられた。だから、会いにいかずに済むのなら、それに越したことはないと思っている。
 鎌倉のおじいちゃまとおばあちゃまが、この家にやってくることはない。
 ママは東京へ出てきてすぐ、パパが通う大学の近くにひっそりとたたずむ、いい感じの古本屋さんで働きはじめた。
 いい感じの、っていうのはママの受け売りだ。私はあんまりそういうふうには思わなかったんだけれど、ママがいつもそう言うので、ここではあえてそれを尊重しておく。
 ママのいい感じの古本屋さんはいまも当時と変わらずそこにあって、わたしはきれいなお花を持ったパパとママの二人に連れられ、何度か連れていってもらったことがある。古い紙の匂いがしみついた、こぢんまりとしたお店だった。一見流行っていなさそうに見えて、お客さんはつねに一人、二人必ず入っていた。
 大学の正門手前の交差点脇に、お花をお供えすることをわたしたちは忘れない。
 古本屋さんへ顔を出した後は、決まって大学の学生食堂へ行き、遅めのお昼ごはんを食べる。パパとママはここへ来ると、いつもより口数が少なくなる。もしかしたら、未だに照れているのかもしれない。パパとママが出会ったのは、まさにこの学生食堂だった。
 ママは大学へ通っていたわけではなかったけれど、食堂には毎日通っていた。先に声をかけたのはパパの方で、二人は古本屋と食堂を本拠地にデートを重ねるようになった。ママは食堂同様、大学図書館へも通いつめていて、パパの学生証は二人を近づける力強い後ろ盾にもなった。
 二人の本好きは、たぶん娘のわたしにも遺伝している。これは確かだ。
 でも、わたしが凝っているのは、読むことよりも、考えることだったりする。
 だって、いまのわたしに読める本は大体読み尽くしちゃったから。中学生や高校生のお兄さんお姉さんたちが読むような本は難しくて、まだうまく読めない。読んでいるうち、だんだん眠たくなってきちゃう。
 そのことをママに相談したら、
「読むべき本はそのときそのとき、それぞれのタイミングで琴子ちゃんのそばへやって来てくれるから、琴子ちゃんはただ扉を開けて、いつでもどうぞって待っていてあげたら、それでいいのよ。」
 と言ってくれて、なんだかちょっと安心した。
 楽観的なママとくらべて、わたしにはいささか物事を深く考えすぎてしまうふしがあるみたい。
 考えはじめると、つい眉間にしわをよせたこわい顔になり、黙り込んでしまうらしくって、
「かなやさんとうりふたつの琴子ちゃん。なにをそんな、むつかしい顔して考えごとしてるんだい。」
 パパがそばにいてくれるときは、そう言って、顔を覗き込んできてくれる。
 わたしは、瞬間とてもびっくりしてしまう。
 だけれど、パパがこちら側へ引き戻してくれるおかげで、わたしはその日一日を険しい顔をしたまま、丸潰しにしてしまわずに済む。パパに呼んでもらえずに一日過ごしてしまった日には、眠るのも疎くなって、すごくすごく疲れちゃう。
 パパの声は、指先とかおでことか、おへそのまわりとか足の裏とか、とにかくからだじゅういろんなところからわたしの中にしみこんで、全身へわたってゆくような気がする。
 一方で、考えごとをしているときのわたしは、ママの呼ぶ声には一切気がつけないものだから、
「琴子ちゃんったら、パパばっかりずるいわ。ママの言うことは、全然聞こえてくれないんだから。」
 なんて、くちびるをとがらせてみせたりする。
 ママのことも、パパとおんなじくらい大好きなんだけどな(でも、やっぱり一番はパパかも)。自分でも、どうしてなのか、ほんとうにわからない。

 

お題「マイブーム」

 

【kindle ことことこっとん】

にほんブログ村 小説ブログ エッセイ・随筆へ  

 

BRUTUS特別編集合本・本屋好き (マガジンハウスムック)

BRUTUS特別編集合本・本屋好き (マガジンハウスムック)

  • 作者: 
  • 出版社/メーカー: マガジンハウス
  • 発売日: 2014/07/01
  • メディア: ムック
 
本屋はおもしろい! ! (洋泉社MOOK)

本屋はおもしろい! ! (洋泉社MOOK)

  • 作者: 
  • 出版社/メーカー: 洋泉社
  • 発売日: 2014/10/28
  • メディア: ムック