おさなごころの君に、

茜色の狂気に、ものがたりを綴じて

「琴子ちゃんの風景-07」楢﨑古都

 

「ーーーあ。」
 瞬間、目の前にふっとある風景が見えた気がした。
「どうしたの、琴子ちゃん」
 パパの声が、頭のうえのほうから降ってくる。けれどもわたしは、その風景から凝らした目を離す古都ができない。いや、話したくない、と思った。
 パパとママと、それから知らない男の人がいた。後ろには、見覚えのある建物。あれは、確かパパの通っていた大学だ。
 パパとママは、今よりちょっと若く見えた。
 知らない男の人だけ、こちらをじっと見ていた。
 わたしに、笑いかけてくれた?
 つむじ風が吹いて目をつむると、まばたきの次に現れたのは、この部屋の光景だった。だけど、「いま」のじゃない。
 わたしが座っているソファのすぐ前の床で、小さな男の子が、パパとママと一緒に積み木遊びをしている。
 男の子は、わたしを見上げて赤い三角の積み木を差しだした。まるで、いちばんてっぺんにこれをそれを乗せる栄誉は、お姉ちゃんにあげる、とでもいった風に。
 この子はーー。
「琴子ちゃん。」
 方を揺さぶられて、わたしははっと我に返った。右手が、梅雨に浮いていた。
「目、覚めた?」
「え?」
 パパは、ものすごく心配した、という顔つきで、放心しているわたしの顔を覗き込んだ。
「あ、ちょっと待って。」
わたしはまだはっきりしない頭で、たった今見たばかりの情景を、あわてて思いだしにかかった。一秒でも早く脳みそに焼きつけてしまわないければ、きっと夢みたいにどんどん消えていってしまう、そう思った。
 パパがいて、ママがいて、それからーー。
 ああ、今見えた気がする。
 昔、わたしがこの世に生まれてくる以前の風景。それから、これから間違いなくつくられてゆくだろう、わたしたちの風景。
 風景は人と人とがつながりあって、そうしてみんなで大切に守って行くんだ。日々、新たに生まれてくるつながりを加えて。
 抱かれた腕のぬくもりを心の底から切なく、暖かく感じながら、私はパパの顔をあおぎ見た。きょとんとした表情で、だけれども優しさにあふれたまなざしで、パパはわたしのことを見下ろしていた。
「パパ。」
 声帯が勝手にふるえていた。
「また、考えごとしちゃってた?」
「うん。」
「今日のは、いつものよりずっとむつか しかったんだね」
 ああ、パパがいてくれて、ほんとうによかった。心底そう思った。
 ママが話してくれたもう一人の人のはなしを、わたしは知っておく必要があったんだと気づいた。
 それはその人が、ママと、ママのお腹の中にいたわたしの命を助けてくれたから、というだけの理由ではなく、もっともっと深いところで、わたしたち家族がこれから先もつながってゆくために。だから、ママは話したんだ。
 わずかな偶然と、それに伴う運命的なめぐりあわせによって生まれた、様々なできごと、想い。しあわせも悲しみも、季節の変化も、惜別の間もなくおとずれた別れの瞬間も、すべてが必要だった。
 ひとつひとつのことごも、そのどれもがあったからこそ、みんな、「いま」につながっている。
 この瞬間にも、目に見えないたくさんのものたちが、わたしたちを取り巻き、つきつ離れつして、やがて確かに「ここ 」へとつながってゆく。パパの左腕も、ママとわたしを助けたあの人の存在も。
 悲しいけれど、それらはやはり、この風景に必要だった。
  わたしたちは奇跡的とも思える未知的偶然にみちびかれて、いまここにいる。パパも、ママも、わたしも。そして、お腹の中の赤ちゃんも。
 わたしは寝ぼけた頭の片隅で確かになにかを悟りながら、あいも変わらずパパのことを見つめていた。
 そうしたら、ふいにあることを思いだした。
 ママが言っていた、わたしのタイミング。
 こくん、とつばを飲み込んで、わたしはパパの膝の上で姿勢を正した。
「あのね、パパーー。」

 

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